静観派の山行

自然への巡礼つづき。

そもそも日本的な山行ってなに? これは”静”であるとされています。

そこで静観、静観派という、簡単にいえば、アルピニズムとは対局的なスタイルを掲げる人々が現れる。

たとえば低山徘徊の高畑棟材は著名( 大正-昭和に活躍した書家。高尾山系にまつわる随筆もある、もしも興味があればご一読を )。

アルピニズム的スポーツ登山を動とすると、自然の中に在るのみで満足という菅沼達太郎のような山行は静観になるでしょう。

この動と静観、どちらがいいではなく、個個の資質により別れると思うんです。

私にしても特に静観を目指したのではなく、結果的に静観派? 否、最初から静観だけど、意識にない、自ずと静なんだょなぁ… Hmm

実は祖父が民俗学を研究してたんです。私は祖父に育てられたので、その影響が濃い? んで、子供のころから道祖神とかに興味あったんですよ。

家には稲荷もあり( _稲荷は本家筋 )、あと神様の部屋というのもあった。なんで、わりと無意識に日本の神的なものに親しんでいた方かなぁと思うんです。

それがこの齢になっても、古道を辿り峠を越え… 古い祠にお辞儀とか… まあ地味、静観派の典型なんだけど、そこに祖父の影を観てしまう…Mmm

quiet observation

ところで信仰と登山にまつわる話は書籍を参照しています( エビデンスあり。そりゃそうですょ、生まれる前の出来事だもん )。

で、近代登山の広まりについて書かれた文献を漁っていると、一つの共通する事柄に気づきます。それは山行のスタイルに関して。

日本には四季がある、四季があるということは、過酷な自然だということ。そんな国内での山行には地域性がある( 山域と季節により )。もちろん登山者の資質も加味される。

すると、山域と季節を背景に( ローカルルールも含め )、登山者の数だけ( 個個に応じ )、様々なスタイルが発生。これが登山というような決まり事はない、決め得ない。

( たとえば大正期の登山家板倉勝宣は「各人の個性にふさわしい山の味わい方」があると哲学的な意味もふまえて書いている )

この、決まりはないという点が各文献で語られており、では、なぜそんな当然のことが( もちろん山域と季節により自ずとスタイルが発生し得るが、それでも登山者の数だけスタイルもあるのではないだろうか? )語られるんだろぅ?

なんかスタイルを決めたがる層が( 政治的誘導? )登山の大衆化が広まるにつれ出て来たんじゃないかと、そのカウンターに語られた気がする。つまり( 視点を変えて見ると )近代合理主義への警戒じゃないかと思うんですよ。

静観について補足すると、動と静は一対。極端に切り離すものではないんです。動は実践、静は思索、そのバランス。そこに日本的な静の山行がある( 動と静を一対とする見方は、おらく陰陽五行思想の影響もあるのでしょう )。

アルピニズムの対局と説明したが、二元論じゃないんで、たとえば静観的アルピニストもいるだろうし、スポーツにも静観的な状況は起こり得ると思う。

いずれにしても、たとえば三昧( 個己を忘れるほど一心に物事に打ち込む状態。三昧≠大悟 )に至ることで自然との境界が曖昧になれば、それこそが静観的な状態。

( 信仰との断絶により近代登山は発展するが、現代の山行も突き詰めると、結局、山行により日本的霊性のようなものが自ずと芽生えるのでは? 信仰との決別に始まったようで、自然が拠り所の帰依というループではないか? 信仰≠宗教 )

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自然への巡礼

峠会つづき。

地形を読みながら道なき道を進む、獣道を辿るような低山バリは、まるで山の民のようなスタイルだが、それが山民には仕事であったのに対し、ハイカーの山中彷徨はレクリエーション、まあ好奇心を満たすためでもあるでしょう。

で、山も色々、たとえばべーら山( 地域の暮らしに関わる雑木山、東京西部の地ことば )とか、たとえば入らずの山( 畏怖の対象 )のような神域もあったわけじゃないですか。

様々な山にまつわる神が存在するそうですが、では、その大元、そもそも山の神なる概念はどこからきた? まず原始信仰での祖先神という考え方があるのですが、サクっと説明します。

古代において最も重要な神が山の神であり、たとえば歴史ある神社に祀られる神の系譜を辿ると、そのほとんど全ては山に辿り着く( という史観を私は支持します )。

さらに日本の山の神は古代中国哲学の影響を受けてもいる。それは陰陽に関係するもので、たとえばマタギが信仰する神はこの神になるはず。この山の神と、先に説明した原始信仰での山の神とは異種とされています。

えっと、ここで留意したいのは、そのような概念が古来から信じられてきたほど山は特殊な場であるという点でしょうか。いわば掟( 慣習 )により守れてきた山に、近代以降、探検目的で入山、そして好奇心を満たすために登山家が、さらにウイークエンドハイカーが押し寄せる。

それはまあ古来からの掟を破る行為でもあり、そこも登山の特殊性なんです。都市生活者が気軽に山に入るというのは、伝統的価値や慣習からの自立でもあります。登山が大衆化する当時としては、ローカルの信仰を踏みにじるかのように見えもしたのでしょう。

そんな信仰との対峙は他のアウトドアレジャーにはあまり見られないっうか、それほど山は象徴的な存在だったのでしょう( なんせ神域、山中他界 )。登山は旅の一形態としてスタートしましたが、慣習の枠を踏み越えた登山は( タブーを破ることからスタート、それはエポックメイキングでもあり )現代的な旅行の起源、様々な旅のスタイルが発生するキッカケになったようです。

gods

パスハンティングという峠仕様のサイクリング車による山中彷徨も、その枝葉? そんな山旅の大衆化により生まれた一様式になるでしょう。ちなみに1900年、明治33年、富士山頂から自転車で下るという、今のDHの原型のようなことも行われたそうです。

補足。江戸期には既に国内旅行は成熟化していたので( 世界でも稀とされている )、たとえば講での登拝はツアー登山の元祖のようだが、現代的なツアー登山には信心という核が欠けている( そりゃそうだ )、その差は大きい。そこに近代以前の山旅と、現代の山行との断絶があるんですょねえ。

それと、も一つ留意したい点が、対峙と言っても、当時の空気感を推測すると、平たく言うと、信心もいいけど、それはそれとして置いといて、お気楽に自然に親しみたいじゃん! みたいな意見がそれなりに支持を得たんじゃないかなぁ? でなければ近代登山というムーブメントは起こり得なかったとも思うんだょなぁ。

( 講の登拝について、作家井伏鱒二が紀行文「七面山所見」の中で、団体登山の批評というか風刺ともとれる内容なんだけど、当時の様子が描かれているので、もしも興味があればご一読を )

も少しつづきます。

峠会

“峠会”とは、柳田國男による造語。ピークハントに対抗するかのような姿勢で、たとえば峠越えのない山旅は味気無いと柳田は語っている

国内における登山の歴史は近代にスタートした。では近代以前はというと、たとえば講のような信心に基づく山行が主であった。

他にも、たとえば行者( 山伏 )とマタギ( 狩猟民 )なども山に入っていたが、杣人と製鉄民なども含め、簡単に説明すると、いわゆる山の民か宗教的アウトサイダーであり、平地に暮らす民とは別。里の民( 稲作農民 )が気軽に山深くに入るような慣例はなかったとされている。

( 山と里を接ぐ神事の始まりに関しては、いくつかの史観があるが、最初、山民による焼畑という農耕のスタイルがあり、それを介して神を迎えるようになった、里に降りた説が有力ではないだろうか。ただこれも実際には地方により異なる。大きくは西と北に別れるとされていて、それはたとえば植物分布が影響する。それにより山の神の捉え方からして変化するが、いずれにしても単一なものではない )

で、登山のスタートに話を戻すと、近代登山は、旧来の信仰に基づく山行との断絶である。そして近代登山は旅行の一種として大衆化する、いわば登山のための登山がスタート。

実はそこに軋轢も生じ… ぶっちゃけ登山者にすると、宗教的山行とか古臭い、面倒、関係ねぇよ! とかなり、信心で登拝する者からは、なにしに来た! と警戒されもした。

pass meeting

今や爆発的な増加傾向にあるハイカーも最初は異端、古来の山行( 山での暮し )とは無縁。たとえば日本は山岳国で、それは事実だが、通俗なニュアンスとして昔から山に親しんでいたというのは、話を盛っている、美化されている。山に親しんでいたというのは山間の集落に暮らす山民の話。

現代的な意味で、日本人が山に親しむというのは登山の大衆化により広まる見方で、大衆化のキッカケは、その一つは、槇有恒によるアイガー東ルート登攀( 1921年 )ではないだろうか。

そこでアルピニズムというスタイル( 哲学でもある )も広まるが、ここにも軋轢が… 雑に説明すると、アルピニストの山とは先鋭的な登攀、生死を分ける真剣なもの。たとえばサラリーマン( プロレタリア )が月一で山に登るようなお気軽山行は登山じゃねぇよ! とか揶揄されもした。

一般庶民は、なんとかやりくりして、せめて月一でもと山行を楽しみにしているのに、そこでアルピニズムの生死とか言われても… 講釈うぜえなぁ、大きなお世話! となる。

近代サイクリングの始祖でもある菅沼達太郎も、都心を離れて山に入るだけで十分満足、登頂は主な目的ではないというような意味の言葉を残している。

つまり大正から昭和初頭にかけ、そのころ既に、都市の喧噪から逃れたいというレクリエーションとしてのアウトドアが求められてもいたのだ。

喧噪から逃れるというのは、同時に、古いしきたり( 宗教的な意味も含め )からの解放というニュアンスもあったのであろう。それまでの国内旅行は、たとえばお蔭参りのように娯楽を兼ねていても、信仰の枠内だったのだから( つづく。

パスハンターってなに?

9月に入りました。あと一月ほどでパスハンティングのシーズンに入ります( 私の行く山域では紅葉が始まるころ蜂が隠れるようです )。

なんとか無事に前シーズンを終えましたが、この齢になると、毎年、もう今期が最後かなぁ? とか考えるようになるんですょねぇ…Hmm

こんな面白いこと他になかなかないので、自己確保は前提に、多少無理しても、可能な範囲でつづけようかなぁとか… まだ行けるとは思うんです。

ところで前にも少しふれましたが、私の場合は70年代ディスカバージャパンのスピンオフ( 当時、懐古ブームを背景にディスカバージャパンなるムーブメントがあり、簡単に説明すると日本の再発見で、たとえば古くからある宿場町を訪れるような小旅行が流行ったんです )。

で、その以前、そもそもパスハンなんて言葉はなかったが、パスハンティング的な山岳サイクリングは行われていた、自然発生的にあったんです。パスハンなどの用語はあと付けでしょう。

( 当時は深く考えなかったが、日本独自のスタイルとされる峠用サイクリング車に、なぜ「pass-hunter」という横文字を用いたのだろう? もっと和的な表現でよかったのではないかなぁ? )

そして80年代半ばにMTB( ATB )が渡来するんですが、それでより顕著になったと思うのが山道でのスポーツ走行。トレイルパスなんて言葉もありましたねぇ。

それと別に、スポーツ走行にはこだわらない古典的な静観派のパスハンもあって、それは郷土史などを参照して古道を辿るという山中での史跡探訪みたいなものかなぁ?

なんにせよ、そんな感じで、スポーツ走行派( 動 )と史跡探訪派( 静観 )に大きくわかれるでしょう。そしてスポーツ派はMTB的に進化したけれど、史跡派は絶滅危惧種でしょうか。

unique-to-japan

私は史跡探訪派( 静観、いわば自然への巡礼? )、わりとコンサバ、押しと担ぎで古道を辿る。延々担いだ挙げ句、山の中で昼寝とかしてるとスポーツ派の人から失笑を買うこともあるが、そこは時代が逆転?

現在、国内の山ではオーバーユースが問題に。その現状でスポーツ走行はいかがなものか? たとえばね、高齢ハイカーは保守的な傾向が強いと推測し得るのに、最新のステルス機みたいな車体で、しかもSTでトレイルパスとか、ハイカーの理解を得るのは難しいでしょう。

( ハイカーに媚びるっていうんではないんだよなぁ、総体として、自然生態系への配慮という話なんですよねぇ )

乗車にこだわるのはナンセンス、そんならコース行けって言われかねない。今後はオーバーユース問題などをハイカーと共に考えなければならないでしょう。私は、古典的パスハンティングはハイカーと共存可能と考えています。

( もちろん可能な範囲で乗車するし、特に一般登山道の通過に関しては事前に管理者の承諾も得ている。なんだろなぁ? ほどほどでいいというか、意地でも乗車というような姿勢はいかがなものかという意味 )

つづきます、ディスカバージャパンの話を少しします。

都内三大ストーンサークル

ちとブラフ。都内三大っうか、この3ヶ所の他にあるんですかねぇ?

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尾根緑( タンク道 )。近くにアウトレットあり、山道具の偵察を兼ねて。

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で、寄り道。尾根緑といえばここも? ストーンサークル( 田端環状積石遺構 )。

縄文中期から晩期で、複合遺跡としても2000年の歴史があるそうだ( 祭祀が執り行われていた場所で、2000年のあいだの複合遺跡という点が珍しい、他に類がない )。

なんか違和感? 画像ではわかりづらい? そうレプリカ。現場で眺めていると、たしかに場の気のようなものはよいが、置かれた石が軽い!

普段、山で天然の奇石とか近世の道祖神など、歴史ある古い石を見慣れているので物足りないのかも?

以前は本物が見れた、公開されていた( 石の感じ、質感が現在のレプリカとは異なる。まあ、そりゃそうだ )。

ただ盛土保存であり、現在のレプリカの真下、地中深くに本物が眠っていると妄想すれば、ありがたさは不変かも?

本来は発掘ママがベストだろうが、それだと悪戯する不届き者がいるので、これはこれで仕方ない処置なのだろう。

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おまけ。前原の環状列石( 画像は遺跡付近。個人所有の土地であり立入禁止 )。ここもストーンサークルで知られているが、遺跡マニアしか知らないと思う。

( 石の配列の間には35本の柱穴があり、祭壇もあったそうだが、上記の理由で近寄れない )

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さらにおまけ。下布田の環状列石。自転車の置いてあるあたりがその真上のはず( 10数本の石棒などが出土したそうだ。郷土博物館で概念図が見れる )。

見てわかるように、野っ原。区画全体が保護されている。広々とした空き地のようで、雑木林もあり、散策路もある。

この下布田が最も雰囲気はいいようだ。レプリカのある田端は当時の様子はわかりやすいが、街道と住宅が隣接、少しせせこましいかもしれない。

前原は近寄れないのでなんともだが、そのかわり野川公園( 自然公園、かなり広い )の真横であり、散策には最適。

たとえばこの3ヶ所をサイクリングで回ると、おそらく1日かかるが、ちょうどいい距離ではないだろうか。たまには都内ストーンサークル巡りもいいかも?

追記。遺跡のある土地が個人所有、また上に建物があるのは珍しくない。都の遺跡地図を見るとよくわかる。

実は… 実家が遺跡の上。縄文時代の住居跡の上に実家が建っている。いわば自分の家がパワースポット!? たしかに場の気はいいかも?

家の下に遺跡があるということを忘れている、気づいていない方が多いのではないだろうか? 遺跡地図、要確認ではないだろうか。

追記。田端は、がんばっていると思うんですね。都内のストーンサークルそのものが珍しいので、他の2ヶ所も、もう少し説明があっていいと思う。

林道サイクリングで670

どんよりとした空模様。なんか気分が滅入るなぁ… そんな時は梅雨の晴れ間を活用してスカッとするルートをパーッと走るに限る。

朝方グズグスしていたが、せっかくの晴れ間( 午前中は晴の予報 )、行かないと後悔しそう( 来週から天気が崩れるようだ )、よし! 出かけよう!

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670林道ゲート、昨年11月以来。このルートを走るということは、もはや低山はオフシーズン( 林道サイクリングで、ヤブ道はなし )。

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昨年、工事で通行止めだった箇所。ありゃまあ、ずいぶん念入りに舗装したなぁ…

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でも、新たな舗装はここのみ。他は相変わらずの凸凹で、少しホッとする。

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670林道、全長約4km、内舗装区間約1.6km。ここはゲート手前の坂が辛い、ゲートを越えれば後は楽。しかしそんな軽口をたたけるのも今だからで、最初、この林道の登り方がわからず苦労した。

何回も通って、やっとコツが掴めた。コツがわかると、わりと簡単。サイクリング車で登るのに最適、なんか楽しい、ここ好き。

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ピストンもいいが、せっかくなんで南に下り、TAH林道で下山。夏の低山サイクリングはこんな格好( ここは林道末端の連絡路、地図にはない )。

ハンチングはドーフマン、ポリエステルの総メッシュでヤプに強くて涼しい。ヤブよけのサングラスはアルパイン用、これは曇り空の時でもクリア。上は夏用の山シャツにタイ、下はサマーウールのニッカ。夏用ベースレイヤーに合わせているので、汗で不快になることはない。

( 夏用の山シャツに、いいと思うものがない。これもカラーの型が気に入らない。一応ライディングジャケットもあるが、夏山では面倒なんで持ってこない )

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TAH林道、未舗装林道で全長約5.7km。林道終点からは国道で一気にぶあーっと急降下。

670林道をジワジワ登り、TAH林道でダート走行を楽しみ、国道で麓の駅付近まで爽快な下り。およそ100km+山道で、ちょうどいい距離?

アプローチの舗装路と、自然の中の林道という組み合わせがいいのだろうか? このルートを走ると理屈抜きで、とにかくスッキリするのだ。

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山はやるが、自転車未経験の方に。普段、自転車で走ると( ある程度本格的な乗り方で、多少は負荷もかけて )、徒歩の山行が楽になるようだ。専門的な理屈はわからないが、持久力が増すのかなあ( もやもやした説明で申し訳ない、自転車をつづけていると山歩きが楽に感じるようになる。なんか? バランスがあり、山だけでもダメだし、自転車だけでもダメな気がする )。

風と展望のコル

古道と峠のバリエーションのつづき。_から南に向かい589に。手前の峠を経て589からさらに南に伸びるルートの偵察。低山パリ。

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このあたりからバリルートに入る( ここまでもバリのようなマイナールートだが…)。まずは峠にパスハンターをデポ、空身で589に登りルートの偵察。

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ありゃ! 冗談ではなく、この真ん真ん中がルート。もはや手遅れ!ヤブ!ヤブ!ヤブ! わさわさしてわかりづらいが、両側崖の痩せ尾根。多少岩あり。

ここは浮き石が多い、足をとられる。空身では589まで行けても、担ぎは無理。1/3ほど担いでみたが、足下が見えない上にヤブにも引かれる。なんか怖い… 危険、撤退。

( もしも落っこちてもボサにひっかかるだろうが、そんな危険を冒してまで進むこともない。ロープも考えたが、支点が取りづらい。こりゃ冬枯れてから再トライだなぁ )

実は取り付き付近のヤブを見て、なんとなく予想していた。ちょっと遅かったようだ。しかたない、ママあることだ。

で、今期のパスハンはこれで終了。500m圏のヤブが育つともう無理。まだ蜂はおとなしいが、ヤブで足下が見えないのも危険。また来期( 10月末、蜂が隠れてから再開 )。

低山バリはもう少し行けるが、7月に入ると蜂が荒れ出すのと、いずれにしても低山そのものがオフシーズンに入る。

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589方面から_上のコル( 鞍部 )に移動( 画像左上、茂みのあたり )。ここは超穴場、特にこの時期最高、残念ながら詳細は内緒。

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すぐ左右に小ピークがそびえ立つV字状のコルで、両側( 谷側 )は急斜面だが、寝転がるくらいのスペースは余裕である。谷側には遮るものがなく、ここを風が抜けて行く。

雑木の木陰もあり、気温30度前後の晴天でもかなり涼しい。そしてエスケープも簡単。ここまで好条件が揃うコルは、この付近の山域ではなかなかない。

おまけに、よく踏まれた尾根筋だが、まず誰もこない( ここで他のハイカーに出会ったことがない )。地図にない古道の名残で、あまり知られていない。

登山道を独占して大休憩( 飯を喰ったり、茶を入れたりと、休日の昼間に2時間ほどダラダラしていたが、やはり誰もこなかった )。

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正面の景色。

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後を振り向くと、この景色。なにも無い? 見渡す限りの低山でスケール感は低いが、無茶苦茶気持ち良い。ほんと最高、極楽。

我ながら? こんな? 地味だが、知られていない、気持ちの良い場所を見つけるのが上手いと思う。伊達に低山を彷徨していないっうか、こんな隠れ家のような場所を幾つ知っているかが勝負どころではないだろうか?

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後ろ髪を引かれつつ撤収。地元の方しか利用しない仕事道で下山、あっという間に山麓に下れる。

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さて、少し時間が早いので、遠回りしてKAK経由で帰宅。ここも密やかな良い道、まあたいていは誰にも出会わない。都内とは思えないでしょう?

無事( 宿題は残るが )、今期のパスハン終了( 昨年10月半ばから今年6月初頭、約8ヶ月間 )。