国木田独歩により「武蔵野」なる観点が、いわば発見された。それは豊多摩郡の風土に基づくが、武蔵野そのものには定まった境界はない。
( そうみなされるランドスケープは実在するが、どこから-どこまでが武蔵野かという定義的な事柄はわりと曖昧 )
広域をカバーする概念で共同幻想的だが、国木田独歩と柳田國男が見据えていたのは、おおまかには、主に東京府下の三多摩エリアになるだろう。
では、元祖武蔵野とも言える国木田独歩の武蔵野とは?
この一帯が国木田独歩の武蔵野だ。平たく言えば、渋谷区西部。
( 国木田独歩は「武蔵野」に、渋谷NKH付近の景観を描いた。当時、渋谷は東京旧市内の外、江戸前な感覚では郊外の片田舎。その意味では、渋谷は東京じゃない )
その国木田独歩の「武蔵野」なる着目に対し、柳田國男は称賛と同時に異論をも唱えた。それって、まあプロローグで、それが武蔵野の全てではないだろう、と。
優れた着眼点なのだから、情緒的なイメージに終始せず、さらにその最深部まで踏み込め! と…
( disでなく、国木田独歩=文学者としてのアプローチ、柳田國男=民俗学者としての考察、そのようにスタンスが異なるので、そうなるのだろう )
では、柳田國男の「武蔵野」とはどこか?
ここが柳田國男の武蔵野だ。
広域をカバー…と、先に説明。しかし、柳田國男が武蔵野と認定したエリアは、実は、狭い範囲に限られる。
もうすこしわかりやすい画像をUPしてみよう。
そう、常民オフリミットなフェンスの向う、接収地。現在の福生付近の景観に、この一帯こそが武蔵野の核心部であると、当時、柳田國男は唱えた。
( この柳田國男の見立ては最古の武蔵野の概念に近い )
古くは武州一帯、たとえば「新編武蔵風土記稿」では、「西は秩父峯、東は海、北は河越、南は向ケ岡、都筑原に至る」とされている。
つまり=東京都全域、埼玉の南半部、そして神奈川北部であるが、1800年代の概念だ。近代-現代の地勢とは… 乖離するであろう、な…Hmm
思うに、近代では現在の環状六号線付近から、北北西-南南西方向、なおかつ峻嶺な山岳地帯にかかる手前の丘陵-平野までが武蔵野では?
コンテンポラリーには、武蔵野の面影を宿すと言い得るのは、環状八号線の外側で圏央道( 468号線 )より内側、北方向は多摩湖より西、南方向は多摩川より西か?
( 武蔵エリアという言葉は武州時代に鑑み違和感がないが、武蔵野エリアという表現は… 御都合主義的かと=粗雑な捉え方なんですよ )
たとえば国木田独歩が発見した武蔵野、つまり今の宇田川町-神南だが、すでにオリジナルな自然は失われてる。否、武蔵野風情な区画も現存するのだろうが、それはスポット的で、ランドスケープとしての連続性に欠ける。
( 武蔵野=ランドスケープ=総体としての、であろうから、まるで離れ小島のようにピンポイントに点在するものではないだろう )
都心でのサイクリングで常々実感は、走っていて楽しい光景( 街並みの面白さ )が持続しない点だろうか。
たとえば屋敷林に囲まれた古き佇まい、また、オリジナルにモダンな建造物などなど、そんな、ああ…ここはいいなぁ…な、景観との遭遇は… あるにはある。が、やはりスポットでしか。
( それを転じて、デカダンスに都会的なノイズの面白さとして評するのは、それは地方出身者もしくは東京の文化的な歴史を学んでいない者の発想だろう )
ところで接収地は、実際に訪れて、フェンスの向うとこちら側とをよく見比べてみるといい。
その向うには一面の芝生を庭とした住まいが( 隣家との十二分な距離感 )立ち並び、その軒先には大型のBBQグリル、おまけにジャグジーまでもが。
なんやらゴージャスに充実な居住環境には、戦勝国の軍属は優遇されてる感を抱くかもしれないが、それは違う。
あのような軍属用ハウスは、たとえばサウスベイ( LAの片田舎 )はロングビーチあたりに建ち並ぶ低所得者用住宅と代わり映えのない質素なレベルだ。
ところが、では、そんなハウス群と対峙するかのように、せせこましくも過密なドメスティックな住宅群の、プライバシーもへったくれもない、そのいったいどこに古き武蔵野な佇まいがあるのか?
フェンス一枚を隔て、どう考えても、向こう側の方が、ある意味、武蔵野的に豊かにも文化的な営みがあるとしか…Hmm
( 向こう側は、本国に例えると低グレードな家屋。こちら側は、それよりもさらにプアとしか思えない隣家に密な営みは、まるでslumのようで、これが本当に先進国の姿かと疑いたくなる )
皮肉にも、摂取により却って武蔵野な趣が温存されている面もあるのではないだろうか。
( たとえば返還されたら、それは望むべき姿である反面、あっという間に開発業者の餌食になり、メタメタに開発され、醜悪な建売が林立するのは明らかでは? )
武蔵野なサイクリングとは、土埃もしくは泥にまみれるということだろう。未舗装の地道を走ることに武蔵野的なサイクリングな一義が。
( まるで競い合うかのようなスポーツ的なダート走行の意味でなく、ツーリング・ランでの未舗装路走行の意味として )
土埃にも泥にもまみれない、舗装整備された区画のみの走行は、国木田独歩の着想に習えば、それは武蔵野的なサイクリングとは言い難い。
追記。90年代には、そんなフェンスの向こう側に毎週末通ってた。軍属用の宿泊棟を利用したことも幾度かある( なので、外観のみでなく、屋内環境も少しは把握 )。
特に基地のレクリエーション・エリアは特集な空間で、都心から近距離にもかかわらず、濃密な自然が温存されている( ほぼ敗戦時ママの状態 )。
前述のように、摂取により、当時ママの広大な自然景観が現存するのだ( ほんと皮肉なんだけど、基地が自然保護に一役買う一面があるのだ )。
なんかおかしくねぇか? 駐留軍の方が、あるがままの自然を活用( 居住-レクリエーション・エリアにおいては )。それに対してドメスティックでは、整備な方便で伐採-舗装が繰り返されている。
本来、ママの自然活用はドメスティックな御家芸のはず。高度経済成長以降、この国の都市設計はランドスケープなる概念を喪失したとしか思えない。
追記。隣宅と密な郊外の軒並みは、まるでslumと例えたが、他の先進国諸国の郊外居住環境に鑑みれば、それは、そうとしか言えないだろう。
( 建売群の多くには、お隣を監視するという陰惨な設計思想があるのでは? としか思えないほどに密 )
ただ、住まわれている方がまでもがプアと評するものではない。そんな選択肢しか提示し得ない行政と大手デベロッパーがプアなのだ。
端的な例は公共の駐輪場。よく見られる前後車輪下部を仮固定な駐輪設備は、リムがいかれる要因であろうし、また、隣に駐輪な個体との接触もママある( 有料にもかかわらず、間隔が過密 )。
そんなジャンクヤード製造機かのような駐輪設備は、それに認可を下した奉行と、そのデザイナーも、どうかしてるとしか。文化の育成=モノを大切に扱うという心が欠損してるのではないか。
自転車とは恐ろしいモノで、その扱いには、その国の文化レベルが顕著に現れるのだ。