virus戦のサバイブに免疫力UPは必須、そして長期戦であるほどメンタルケアも必須。その免疫力とメンタル面には密接な関係があるそうだ。
その強化には屋外( 自然に接する、いわゆるバイオフィリア的な )での運動が効果的という説も。
ただ、山行バイアスなんで、その方面の試みに過度な期待を寄せてしまう。ちなみに屋内での擬似自然( 現在通俗的に語られているバイオフィリアの多くがそれなんだけど…Mmm )、いわゆるVRによる試みも進んではいるが、私が読んだレポートでは、まだ不完全なものとされていた。
では、23区内在住者として、そんな自然に接するフィットネスを無理なくつづける一手法が”1日に50kmサイクリング( 実用自転車 )“だ。
それは主に山行のための体力維持。目的は古道の低山バリエーション、そのための免疫力とメンタル面強化なんだ。
( 低山バリのリスク軽減のためにも健康である必要が。なので実は健康であることそのものには無頓着、まして長生きな願望もない。長生き=善とは考えてない )
ところが… このWuhanなんたらだ。騒がれ始めた2月の時点で、悩んだ末、山行は断念。virusに謎が多い以上、まあ白黒つくまで山行は我慢せざるを得ないかと。
( 2-4月は都内西部の低山ベストシーズン。私の行く山域では、低山バリは厳冬期のカルチャー。そして、そのエリアは特に近年visitor-touristが集中、キャリアとのovercrowdingな可能性が )
否、アプローチは単独飛行だ、誰にも出会わないであろう古道のルートファインディングな自信も。でも、トイレは公的施設を利用せざるを得ない…Hmm
( 排泄物を介しての感染の可能性が。また慣例的な”雉撃ち”は、では無自覚にもキャリアの場合、virusまみれの”それ”どう処理すんだ? )
そしてまた、山行は全身で行う。山とは身体全体を駆使して登るものだ( この身体全体でというのが日本古来の山行スタイル、たとえば古いマタギ関連の文献にも記録されてる )。
つまりトイレ、また山では、物理的にも、なんらかにふれてしまう。さらにマイナールート専門でも、それ故にSTでのすれ違いではovercrowdingの可能性が。
歩幅程度のSTでovercrowdingは避けようがない。無理-強引に間隔をとれば生態系に影響を与え得る、最悪は滑落だろう。
( 完全な廃道はともかく、マイナールートでも誰かしらとすれ違う可能性を否定できないのが都内西部の低山。それはSNSとGPSの普及で、なんっうか、至る所にハイカーが )
それが2月時点で山行を封印した主な理由。今以上に情報が少なかったこともあるが、姿不明のvirus相手では、それは妥当な判断だと思う。
例年、沢にも入っている時期だが、今期は沢も封印…クソっ! くたばれ隣国Comintern!
で、前回紹介したように、他国の現状にエビデンスを求めることで( この国の大手メディアは頼りにならん! )、少しはvirusの姿が見えてきた。
それをふまえ、今期低山バリ封印であるから( CDCなどのサイトを参照すると、vaccine完成まであと1年は必要か? )、こりゃ考え方から改めないと、メンタル保てんなぁ…Hmm
んで、低山バリのエクササイズなサイクリングから、免疫UPにメンタル強化のフィットネスなサイクリングに舵を切ることに。
さて、virusが生体に侵入するプロセスを考えるに、まず粘膜が。では、その粘膜とは( 部位 )、目、鼻、口、そして耳だ。
たとえばバラクラバのようなフェイスマスクにゴーグルという、なんやら物々しいスタイルだが、それなりに有効な措置だろう…と、信じるしかないだろう。
( マスクによるウイルスの捕捉→Brownian motion )
バラクラバの利点は、先に例えたた粘膜では、目以外の部位は全て覆える、なおかつ+帽子では頭髪の飛散を防げる点だろうか。
( 所詮は市販品、医療用グレードほどのガード効果は期待できない。でも、ソーシャルディスタンス+対策では、他に術がないじゃん! )
頭髪そのものは感染しないが、髪にvirusが付着、それにふれることでという可能性はあるのだろうか?
( よく髪に栄養と例えられるが、髪から直に栄養を吸収することはあり得ない。これも大昔、授業で学んだ記憶が…はず )
たとえば無自覚ママなキャリアが無帽で屋外エクササイズ、virusの付着した手で髪をかきあげる、その拍子にvirusの付着した抜け毛が飛散、それにふれた他者が感染な… 考えたくないが…Mmm
( 抜け毛の量は男女で異なるとされており、さらにケア、たとえば洗髪頻度にもよる。これも大昔、データを見たのだが詳細は失念。ただ、毎日、それなりの量の抜け毛があり得るのは確か )
米国CDCのQ&Aを参照すると、そんな( なんたらを介しての )可能性は否定されてない。とにかく、まだ不明な点が多いそうだ。であれば用心に越したことはない。
( 皮膚の表面から直に感染することはないとされているので、たとえばvirusの付着したなにかに手でふれる、するとたとえば指先にvirusが付着、この時点ではセーフ。だが、その指ママたとえば目をこする、すると目の粘膜を介して感染。日本眼科医会→「新型コロナウイルス感染症の目に関する情報について」)
実際、virusが問題になり始めたのと同時に、バラクラバに帽子、そして手袋と、目付近以外は全て覆った怪しげなスタイルで外出。サイクリングも同様。
( 当初、大袈裟と知人に揶揄されたが、それがどうだい! この有様は? )
CDCは、そのようなマスク使用を奨励してる。だが、忘れてはならないのは、それは追加処置である点だ。たとえマスクはしていてもソーシャルディスタンシングが前提。
( そして、これも前回紹介したことだが、マスクに関しては無症状な感染者が対象。でも現在ではBMAもマスク必須な見解を示した )
その社会的距離、CDCの指針は約1.8m( 原文は6feet )。ただし、以下引用「However,this social distance has been defined for persons that are standing still.」引用以上。
これは”Urban Physics and Wind Engineering“にUPされていた”Towards aerodynamically equivalent COVID19 1.5m social distancing for walking and running”からの引用だが、つまりCDCの指針は移動中( サイクリング、ランニング、散歩など )を想定したものじゃない。
ちょっとdepressingにならざるを得ないレポートで、せせこましい23区内でのソーシャルディスタンシングはかなり厳しいだろう。
( そこは無茶苦茶な都市設計のツケが回ってきたのだろう )
追記。トイレ問題。たとえば不特定多数が使用する公衆トイレの利用は控えるか、細心の注意を払うのが感染症予防では基本的。興味がある方は”TOILET PLUME”で調べてみて下さい。実際、ウイルスが騒がれるようになってから仕事場-自宅以外のトイレは使ってません。
そこでなるほどなのは、前に紹介したパリ市内の規制=屋外エクササイズは自宅1km圏内限定。その範囲内であれば用足しには帰宅すればいい、公衆トイレに頼らずに済むだろう。
登山自粛に関して。肯定-否定いずれにせよ、では、検証に耐え得るエビデンスを示して欲しいんです。
特にこのような問題において情緒的な話は聞きたくない。それは却って混乱を広めるだけではないでしょうか。
風評被害に例えても、具体的データなどを曖昧ママに伏せるから、結果、取り返しのつかないことに。
否、パスハンターも登山も情緒の塊みたいなもの。であるならば、情緒を保つためにも科学的エビデンスが必要。それによりロジカルな保護-保存が可能。その肝心なエビデンスが抜けてると感情論でしか。
以前にも少しふれたけど、古道に例えても、そこほんと古道? エビデンスは? となる。エビデンス固めないと古道のパスハンターなんてのはファンタジー( 物語 )になっちゃう。
重ねて述べるが、あえて緊急事態宣言下に山に登るなら、その判断に至る科学的エビデンスは欲しいところ。じゃないと衝動的な行為でしかないし、却って自粛な空気に呑まれちゃうことにも。
まあ過剰な自粛も、なにが”過剰”かも科学的エビデンスをふまえないと説得力なし、ナンセンス!
追記2。たとえば599参道-富士道-山頂ピストンで、明六ツにスタートであれば社会的距離は保てる。なおかつ、なにものにもふれない山行が可能。
と… 考えたが、トイレは利用するなぁ… では、たとえば北の562では絶対的に誰にも出会わないルートファインディングが可能、じゃ、この場合のトイレは? 雉撃ち?
( 参考。日本医師会のサイトにUPな「新型コロナウイルス肺炎診療ガイドライン」の「感染経路」の項、以下引用「糞便や尿からも新型コロナウイルスが分離できるため、糞便や尿による環境汚染やエアロゾル、接触感染に注意するべきである。」引用以上 )
( 参考2。日本医事新報社のサイトにUPな「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のウイルス学的特徴と感染様式の考察」より、以下引用「物の上でどれぐらい感染性が保持されるかについては-中略-プラスティックなどの表面で3日程度、痰や糞便では5日、尿中で10日としている。」「前略-粘性のある生体成分に包まれた状態では、表面が乾燥しても内部のウイルスの乾燥は限られ、感染性は安定しているようである。」引用以上 )
先にも記したが、やはりvirusまみれの”それ”を山に置いてくるってどうなのか?
たとえば尿の飛沫が服に付着、BBCによると(→「新型コロナウイルス、表面でどれくらい生きられる?」)、服に付着したvirusの生存期間はまだ不明だそうだ。
これはもしも私が無症状な感染者という厄介な存在の場合だが、では検査といっても、そもそもPCR検査の偽陰性という問題も。絶対的なものではないのだろう。
( PCR検査は感染が疑われるケース、また主要ポストにある公人が対象。私のような自覚症状もない一庶民が受けるべき検査ではないと理解している )
そんなことまで考えてたら、頭痛が… やはりパスハンティング山行はしばらく封印だなぁ…と。
( vaccine絶対派ではないが、まだ存在しない以上、私の環境では、現状に鑑みると、あえて登山な整合性がないと判断 )
ちなみにvirusなんたら以前、うん十年前から、消毒用アルコール的なものをサイクリング時も絶えず携帯してる。
そこも大昔、伝染病学の授業を受けてた残滓で、そんな中途半端な履歴があるだけに、よくも悪くもsensitiveに捉えてしまう。
追記3。対照的な599と北の562に例えた。599は登拝の参道、現在は都道。緊急車両も通れるWTの舗装路。登山とは…言い難い。
対して北の562は古い生活の道。現在は廃道-消滅に近い。読図必須な初心者お断りルート。そのため、このエリアでトラブると( たとえば行動不能 )捜索から救助に。
しかし599参道での捜索なケースは考え難い。否、年間100件以上の救助出動があるようだが、たとえば道迷い-滑落は主に自然観察路でのケースだと思われる。
( ちなみにあの参道は、あくまでも参道。歴史的にも着物和装で登るのが古くは慣例だった。要は道路に近い )
で、この捜索-救助という点が、サイクリングとの決定的な違いだ。通俗的なサイクリングとは路上で行われる、そこでのリスクはある程度は想定可能。
対して登山は自然の中で行われる、自然とは( 法的解釈としても )想定不可能なものとされてる。
想定可能なサイクリング、想定不可能な登山。緊急事態宣言下では登山自粛の声があるのも頷ける( 599の例えのように、エリアにもよるが )。
でね、たとえば私が599麓に住んでたら、緊急事態宣言下でも参道ピストンで気分転換な登拝は行うだろう。もちろんovercrowdingに用心して超早朝限定だが。
とにかくなんらかの屋外フィットネスは持続な方向で、でないと、やりきれない。
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