七曲と花見ぞねとされる近世の古道を紹介した、そしてそのいずれかが「伊能図」に描かれている山道ではないかという話もした。
実は、伊能測量隊ルートの候補ともなる山道はもう一つある。その道筋を紹介するが、ここが本命ではないかと睨んでいる。
( そもそも「伊能図」とはなにか? について説明が必要、またこの尾根筋で伊能隊による測量が行われたであろうという考えに至る理由、そのプロセスに関しても別記 )
甲州道中を西、荒井宿に入る、火ノ見下を過ぎ、小仏川を渡る、高尾山側の取り付きに向かう。
そしてここ。ごらんのとおり、ヤブ!ヤブ!ヤブ! もう12月半ば、冬枯れてこの状態では、三季はためらうなぁ…Hmm
古地図を基に、慎重に、ヤブに突入。すると、ほら、道があるんですよ。深いヤブに隠れ、まさかここに道が通じてるとはまず思わない。
踏み跡はここに、V字谷に通じる。改めてルートファインディング。沢筋と左右の尾根、それぞれに踏み跡が、正解は右手( 西側 )の尾根。
沢筋と左手の尾根に通じる踏み跡も、一見、行けそうだが、あぶない! ここは特に要注意。否、まあ右の尾根も安全ではないのですが…Hmm
( このルートも近世の古道になるのだろう、もちろん生態系への配慮は必須だが、ヤブと崩落により近寄り難いので却って紹介できる。ここは七曲と花見ぞねよりもあぶない。気安く登ると、引き返せなくなる可能性も )
尾根筋の様子。オリジナルルートは崩壊、グサグサのズルズル。おまけに崖のような急登。
( この画像は目線、立木に背中を預けて撮影。壁のような急斜面が間近に迫る、まともに立ってらんない )
尾根上、肩の部分に( 第一の難所クリア? )。微かに見切れる麓の建物、屋根の色を目安に、もしもヤブが払われていれば、甲州道中が見通せるであろう点を確かめる。
( それと、尾根を詰めるにつれ、所々に赤テープが現れるが、メンテナンス用でルートには無関係。ここは尾根筋を外すとほんとあぶないのでマーキングはガン無視で )
小休憩、気持ちを整える。この先が… また鬼のような急登。
( 急登そのものは、痩せ尾根のマイナールートにはありがち。ここがリスキーなのは滑りやすいのと、もしも滑ると止まれない点。滑落確実 )
そしてまた、ひたすら三点支持で。またしても尾根上の肩に( 第二の難所クリア? )。すると…
俗称「ひょうたん」とされる「宮」マーク「界」、御料局の宮標石が出迎えてくれる。宮内省は御科林の境界標( そもそも高尾山は幕府の直轄地、後、宮内省の管理下に )。
ひょうたんマークを確認し、ほっと一息ついて、また気持ちを整える。この先にも急登が待ち構えている、そこが最後の上りになる。
わかりづらいかもしれないが、詰めると、つづら折りの踏み跡が。これはオリジナルルートの名残だろう。
途中、トラバース道との出合い。本来、このトラバースで金比羅台古参道に合流するのだが崩落が激しい、あぶない、このまま尾根を詰める。
このトラバースは、おそらく御料林の巡視経路としても利用されていたのではないか? 西-東に伸びる、つまり辻に。といっても崖の途中、しかもいずれの方向もすでに崩壊。
( このトラバースとの出合い付近が「伊能図」に描かれている「くの字」の区間になる、と考察してる )
やっとこさ尾根上、一旦、空身で金比羅台まで偵察に。
その途中にも、やはり「ひょうたん」の宮標石が。このエリアには集中するかのように5個の宮標石が点在、いずれも「界」。
金比羅台確認後、一気に脱力。お茶の時間。ふと、我に返る、俺、なぜにこんなことやってんだか… ま、いいっか。
ここまで詰めたら、あとは野となれ山となれ、どうにでも。下山か? とも考えたが、まだ朝の9時ころ、弁当も持って来たし、下山には早いなぁ。
( 今回も内容がいいんですね、濃い、この時点で満足しちゃった。あ、もちろんパスハンターはデポ )
一般ルートで薬王院に参詣、気になっていた他のエリアのバリエーションルートを偵察、そしてマイナールートを逍遥。
ちょうど昼ころには日差しも安定、廃道化しつつある作業道をお借りして昼飯。ここは陽当たりがよく、風も避けられる。
ところで最初に紹介したヤブと一番目の宮標石、そのほぼ真北に荒井宿( 駒木野 )の一里塚がある。
( 駒木野の一里塚跡にまつわり、地元の古老から直にお話を聞いている。今回、あえて曖昧に紹介、この件も説明が必要、別記する )
その荒井宿( 駒木野 )の一里塚跡がここ。わかります? そう、古い水準点。なんとまあ水準点は現存するんですよ。
( 水準点とは、たとえば地図製作の基点ともなる標石。これは甲州道中沿いに設置されたもの、旧時代の標石。他にこの付近では、小仏峠側にも現存 )
こんな発見にも、伊能忠敬測量隊の、まさに足跡を辿るというか、なんかワクワクするんですよ。ま、妄想ですが。
そして実は、この尾根、急登の連打にもかかわらず、古い地図には道の記載があるんです。
山仕事はともかく、普通? これ登るかぁ? と感じるほどの崖尾根ですが、昔は道がついていたんですね。
古い地形図と対比させるとわかりやすいのですが、長年の浸食により地形が変化、江戸期よりも数段厳しい環境になってしまったのでしょう。
だから、その点を前もって古地図で確認してなかったら撤退してたなぁ。それほどにありえないルートかもしれないが、このサイト全体からもわかるように、こんな山道専門、すでに感覚が麻痺。
それでもこの尾根下るのは…Mmm 足元はズルズル、すがるような立木もなし。全くなくはないが間隔が開きすぎてる。もしも下るのであればロープ必須?
( 地質が脆い、崩れやすいのがV字谷の特徴でも。そのような地質だからこそV字谷が形成されるのでしょう )
まあ、そんな山相の変化にも200年という年月の隔たりを感じるものです。いずれにしも、ここは現在( 特に取り付きからの急登区間は )全く歩かれていない。
( 否、もしかするとコアな「伊能図」フアンにより、密かに踏まれているのだろうか? )
中編につづくが、この伊能忠敬測量隊の高尾山ルートに関しては、あくまでも一史観ですので。
補足。今回のルートは、甲州道中は荒井宿( 駒木野 )の一里塚( 水準点 )が基点に。一里塚跡からほぼ真南に進み、そこで尾根に取り付く。
小仏川の渡渉では、昔はそこ、一里塚跡からほぼ真南の位置に橋があった。ダイレクトにつづいていた、現在その橋は消滅。
今年、2018年は伊能忠敬没後200年、それで高尾山と「伊能図」にまつわる話をまとめておこうと考えていたのですが… はや師走! ちょっとあわててUPです(:
その2: 伊能忠敬の高尾山ルート( 中編 )
その3: 伊能忠敬の高尾山ルート( 後編 )
その4: 伊能忠敬の高尾山ルート( 地図編 )
その5: 大久保長安と「伊能図」の誤差
その6: 伊能図の謎( 中間尾根編 )
その7: デジタル伊能図の高尾山
その8: 古道のパスハンター
その9: 古道の甲州道中( 実測編 )
その10: 完全版( 伊能図の高尾山 )前編
その11: 完全版( 伊能図の高尾山 )後編
その12: 伊能図の謎を歩く( 最終章 )
その13: 伊能図外伝( 文化8年5月5日/ 1811年6月25日 )