デジタル伊能図の高尾山

「伊能図」の高尾山エリアには二つの特徴が、まず道筋の相対的な配置が変、そしてルートファインディングが不自然。

そのルート配置のくるいを考える。仮に甲州道中を「A」とする、高尾山本参道を「B」に、そのA-Bを継ぐ尾根筋の間道は「C」。

(「A」は猪ノ鼻と両界橋、「B」は薬王院と二十一丁目という、いずれも幕末とほぼ同位置を基準ポイントに )

道A-B個別の測量( 距離感-描写 )はおどろくほど正確、現代の地形図とほぼ合致( おおまかに、その道筋の描写を見る限りでは )。

そのような点からも、「C」も( 道Cルート単体では )、その描写は正確と推定し得る。しかしA-B-C総体では相対的な配置がおかしいため、実際の地形とのズレが。

特に「C」は、そもそもA-Bの配置がおかしいので、「C」の描写はそのままに、その距離感が合う地点で継いだ、「C」を当てはめるように配置した感が強い。

( なぜにこれが問題かというと、特に裏高尾エリアでは、本参道から北側の集落に通じる間道が並走。いずれの尾根筋も似通う、また接するため、まぎらわしい、特定に迷うのだ )

次、不思議なルートファインディング。薬王院-本参道を測量、途中、金比羅台付近から間道で下山。この間道は明らかにエスケープルート、普通はここを進まない、あえて測る理由が不明。

もちろん昨晩のミーティングで、本参道の途中から甲州道中の印に継ぐことは打ち合わせ済み。そこで考え得るのは、もしも次回があれば、金比羅台から先の本参道区間の測量も考慮してのことでは?

つまりタイムアップを想定、区切りのよい、そして甲州道中にも継ぎやすい地点でのエスケープか? としか考えられない。

無測で正規ルートを詰め薬王院スタート、にもかかわらず途中でエスケープ。その先は( 坊ヶ谷戸-小名路追分-甲州道中 )、またの機会にでもという打ち合わせがあったのではないか。

( 上椚田村からのアタックは正式な登拝が目的か? でなければ、小仏宿スタートでは、途中に幾筋もの間道が存在するからだ。わざわざ上椚田村まで詰める理由はなにか? 本参道の下見も兼ねて? もしくは登る過程で杭の位置を指示したかとも思われるが、それでも上椚田村まで進む必然性は低い。間道ルートでの下山が前提の場合、それなら七曲で取り付いてもよいのだから )

そう仮定しても、では、それでも謎は、なぜにメジャーな七曲尾根でエスケープではないのか? たとえば花見尾根と伊能尾根( 仮 )いずれもローカルルート、地図に載せる必然性があるのか疑問。

( もちろん仮定。実際には、あの間道を測量すべきなんらかの事情があったはずだ )

そこで考え得るのは、時間の余裕も見て、甲州道中に最も継ぎやすいルートでの下山。継ぎやすいとは、たとえば一里塚に印を置く場合、伊能尾根( 仮 )ルートは最短距離となるからだ。

手っ取り早い、確実なルートを選択したということで( メジャー云々よりも )、伊能忠敬は、間道の測量にさほど感心がなかったのでは? それより( 宿題として残しても )本参道まるまるを測量したかったのでは?

つまり間道の測量は、印に継ぐためのおまけだったのでは? この、無測で上椚田村-薬王院と進み、なのに荒井宿に出るという点はほんと不思議。

( たとえば、今日の予定はここまで! もう時間! で、途中で切り上げたとしか思えないんだが… この件はまた別の検証が必要、別記する )

さて、ところで「伊能図」にはデジタル補正版が、その存在は知っていたが見ないようにしてた( 都内西部の古道を詰めるパスハンターとしての感を確かめるためにも、ギリギリまで無視してた )。

そろそろ煮詰まった、ここらが潮時だ、もう見てもいいだろう、デジタル答え合わせをしてみよう。

前提。デジタル補正版は「伊能図」の精度を詰めたものだが、間道となる山道は、たとえば幹線道路のような整備記録も残されていない。絶対値的なデータは存在しないため、デジタルつじつま合わせ的な感は否めない。

まあ、とにかく見てほしい。

( 以下というか… このサイトで紹介しているトレース線は全て手描きによるアナログ線、多少の誤差はある点に留意 )

digital-mapping

ベースは「守屋二郎図」。甲州道中側を合わせてみる。緑系のトレース線は「伊能図補正版」の伊能隊ルート、青系はオリジナル「大図」のトレース線、そして赤系は「伊能図補正版」の測線のトレース線。

「伊能図補正版」は甲州道中と本参道の位置関係が補正されているが、オリジナル「大図」との比較では、甲州道中そのものはほぼ一致するため、猪ノ鼻-両界橋にポイントを置いた。これは以前にも紹介したように、高尾天満宮の脇から金比羅台分岐付近に至るルート。

尾根筋とトラバース、いずれも怪しい。さらに本参道との出合は、おおまかに、直線距離では100m-150mオーバーしている( 誤差が大きい )。

今度は、測線トレースを甲州道中に合わせる。測線トレースは現代の地形に合わせて補正されている。

digital-mapping2

間道は西寄りに、花見尾根の尾根筋と合致。尾根筋合致は、それに即し、先に説明した直線距離100m-150m区間が削られている( 間道が大幅に切り取られている )。

おそらくこれは、甲州道中と本参道との配置を整えるにあたり、現在の地形からも無理のないルートを引いたためでは?

(「伊能図補正版」は、総体としての完成度に重きを置くので、当然の処理だと思う )

そのように花見尾根ルートに合わせたかのように補正されているが、確定は避けている。この間道区間、「デジタル伊能図」上では、実はルート不明として破線処理されている。

つまり補正版では、特に間道の距離感を短くすることでつじつまを合わせており( 仮定。厳密には本参道側もそれなりに補正されている )、その上で実際には不明とされている。

( ちなみに「デジタル伊能図」上、一部、蛇滝林道に重なる区間が確定されているが、巡視経路の名残とはいえ、あそこ新道では? )

そこで先にも紹介した「大図」トレースの本参道、その描写の正確さを思い出してほしい。本参道と間道は先発隊により測量された( 甲州道中は後発隊による測量 )。

紆余曲折の本参道をみごと測量しきった先発隊、その先発隊が、間道の距離感において、ここまで切り取る必要があるほどの誤差の大きな測量を行うとは考えづらい。

補正版では、甲州道中と本参道の値はほぼそのままに( 仮定 )、その配置において、間道を短くすることで合わせているが、そうではなく、間道の値もほぼママによいのでは?

そもそも間道の配置がおかしいので、その値ほぼそのままに、配置( 継ぐ位置と角度 )のみを変えれば解決するのでは? というのが私の見立て。

( 甲州道中と本参道の距離感にも多少の誤差はあるが、先の比較のように、高確率で合致。なのに、間道のみを極端な誤差前提で処理するのは不自然では? )

では、補正版の間道ルートを、金比羅台-一里塚区間に合わせてみよう。すると…

digital-mapping3

青系のトレース線が伊能尾根( 仮 )ルート(「伊能図補正版」)、緑系のトレース線は「伊能図補正版」ママの位置、そして赤系のトレース線は補正版の測線。

( 緑系と赤系のトレース線は二十一丁目、つまり金比羅台分岐付近が本参道との出合となるが、その地点には、古くは蛇滝に通じる道があったとされている )

伊能尾根( 仮 )ルートは、金比羅台付近のトラバースから尾根筋との兼ね合い、一里塚までの距離感、全てが合致。古い地図に描かれていた伊能尾根( 仮 )を進むルートともビッタリ重なる。

( 金比羅社の北に位置するトラバースは御料林の巡視経路とも一致。ちなみにこのトラバース道は、明治期の地図にも描かれている )

谷筋はともかく( 谷側は崩れやすい )、山の骨格ともなる尾根筋は200年程度では激変するものではない、尾根筋はルート特定の目安になる( 検証に耐え得る )。

確信した、やはり伊能尾根( 仮 )ルートだ( あくまでも一史観です! )。

薬王院から本参道を下り金比羅社に進んだ伊能隊は、伊能尾根( 仮 )との出合から一里塚目指して下山、一里塚付近で印を継いだのだ。

( この一里塚付近の印に関してはもう少し説明が必要、別記する )

ひゃー! 長かった! 本来、伊能忠敬没後200年の昨年中にここまで紹介する予定が、もう2019年の2月だよ。

エビデンスを整えるため国会図書館に通いつつ文献を漁り、新たな疑問に突き当たると裏高尾を再訪と、こんなになっちゃった。

だがしかし、「伊能図」の謎はまだまだある。今回、ホーム的な高尾山に的を絞って紹介したが( パスハンターで自走可能な範囲 )、破線処理されたエリアは他にもある。

そこは、それぞれの地域の地勢に詳しい方、古道-街道マニアがフィールドワークで謎を解くしかない。特に山岳地帯の古道は、デジタル補正には限界があるだろう。

今回、「デジタル伊能図」での補正を確認し、その現場に通った感想としては、やはりこのような問題を詰めるには郷土史に基づくフィールドワークが重要と実感。

「デジタル伊能図」は絶対値ではない、破線処理されたエリアは全国各地に点在。もしも興味があれば、ぜひデジタル補正版を見ていただき、その現場も訪れることで、ご自身の目で確かめていただきたい。

参考書籍は、現在、多種存在、ほんと様々。少し古い定番で、保柳睦美著「伊能忠敬の科学的業績」はおすすめ。とっつきにくい、硬い内容に感じるかもしれなが、総体としての「伊能図」というものがなんであるかがとてもよくわかる。

補足。ちょっとまて! じゃ、花見尾根ルート説は、デジタル測線ではたしかに破線だが、また大幅に補正されてもいるが、可能性は0か?

これ、やはりキビシい点が。たとえば補正版は蛇滝林道付近-高尾天満宮区間はたしかに花見尾根ルートなんだけど、蛇滝林道の南側がなんとも…Hmm それなりに古い踏み跡の名残はあるのですが、実際の感覚として、リアリティが感じられない。

また補正版では、そこは、北西のやや谷筋的な地形側をルートに想定しているが、周囲は林道工事でメタメタ、当時の様相が推測しづらい。現場に行くとよくわかるんだけど、ここは無理! な、極端に険しい地形なんです。

( 実はデジタル測線ママの北西ルートにも取り付いたことが、アタックした経験が、が、即、撤退。いくらなんでもここはない… ありえないルートだが、それが200年という時の流れによる変貌か、林道工事の影響かは不明 )

現代的に、花見尾根ルートを詰めるなら、北西ではなく、直登もしくは北東からのアタックになるはずなんです。花見尾根ルートと仮定しても、であれば( 当時の行程からも )、浄土院の脇から入るのが自然だと思う。

浄土院ルートなら納得なんだけど、しかしそこまでいくと補正ではなく、もう創作の域。オリジナル「大図」ルートとは別ものになるのでしょう。

( この点は、なぜかというと、甲州道中との出合、印を置く杭の位置が問題となるからで、とにかくそれは別記 )

伊能尾根( 仮 )ルートにこだわるのは、伊能尾根( 仮 )ルートでは、紹介したように、ほぼ無補正ママ、印の理由をふまえ、配置の角度を少し傾けるのみで全てが合致する点なんです。

あと、「デジタル伊能図」は図書館などで閲覧可能。価格が10万を越えるため、プライベーターには、ちと敷居が高い。希望を述べれば、「図枠」単位で販売してほしい。

( 地図に10万… 家族にバレたらしかられる。旅行つれてけ! とか言われかねない。またwebライセンスも販売されているが、OSとの兼ね合いがあるため不安が残る )

アカデミックには総体として捉えることが必須、たとえ10万でも有用と理解し得るが( ちなみにプロ版は30万 )、個々の地域( 狭義 )の検証はローカル郷土史家のテリトリー。

なんっうか、「伊能図」の検証はかなり遊べるんで、アマチュア向けのさらなる廉価版が望まれる。

パスハンターに例えても、古道派は衰退一途なんでこのようなデータの出版はとても助かる。

( 依然、自転車禁止! 云々で思考が停止は、いいかげんあきれる。高度経済成長以降における自然破壊問題を総体として捉える意識が低いのではないか。ちなみに最初に自転車を禁じたのはヒトラー=Nazi! )

その1: 伊能忠敬の高尾山ルート( 前編 )
その2: 伊能忠敬の高尾山ルート( 中編 )
その3: 伊能忠敬の高尾山ルート( 後編 )
その4: 伊能忠敬の高尾山ルート( 地図編 )
その5: 大久保長安と「伊能図」の誤差
その6: 伊能図の謎( 中間尾根編 )
その8: 古道のパスハンター
その9: 古道の甲州道中( 実測編 )
その10: 完全版( 伊能図の高尾山 )前編
その11: 完全版( 伊能図の高尾山 )後編
その12: 伊能図の謎を歩く( 最終章 )
その13: 伊能図外伝( 文化8年5月5日/ 1811年6月25日 )